「双極持ちの手作り日記」では、双極性障害Ⅱ型持ち30代女性の日々の生活を書き留めています。
ハンドメイド・手作りが好きなので、日々の制作物をアップしていきます。
また、双極性障害特有の体調の変化なども合わせてアップしていきます。
皆さんに「双極性障害の人ってこんな感じなんだな」「私の周りにも精神疾患の人がいるからサポートしてあげたいな」といったことを感じてくれるブログにしていきたいと思っています。
運営者略歴
すおう
- 昭和後期生まれ
- 東北出身・在住
- 夫と二人暮らし
某国立大学工学研究科修了(修士(工学))。専門は有機合成化学。
修士課程のときに双極性障害を発症し、就活ができない状態に。
そのため、そのまま博士課程に進学するも、双極性障害の悪化のため、休学し退学。
まだ体調が芳しくない中、焦りからか地元中小企業へ就職。
見事に体調が悪化し、2年で退職することに。
会社を退職するときに決意した、精神保健福祉士と教員免許(高校理科)の取得に向けて、専門学校(通信)と大学への通い直しを決意。
2年半~3年をかけ、両方の資格を取得。
その間、大学時代に交流のあった知り合いから、お仕事のサポートの依頼を受け、週10時間未満で就職開始。
そのお仕事がだんだんと楽しくなり、段階的に勤務時間を増やし、フルタイム勤務までできるように。
現在では週30時間の時短勤務を行っている。
保有資格など
次の資格を取得しています。資格の取得方法・有用性についても、ブログの中で紹介していきます。
すおうの取得資格一覧
- 精神保健福祉士
- 教員免許(高校理科)
- 甲種危険物取扱者
- 日商簿記3級
- 知的財産検定3級
- FP(ファイナンシャルプランナー)3級
双極性障害がわかるまで
生い立ち(発症前まで)
兼業農家の長女(第一子)として誕生。
両親と弟2人とおばあちゃんで楽しく暮らしていた。
農家の分家だったため、週末には農作業を手伝う習慣がついていた
小学4年生のときの担任の先生と出会い、勉強にのめりこんでいく。
自習学習ノートは月1冊ペースで消化するようになった。
普通、親には「勉強しなさい」と怒られることが多いと思いますが、私は「勉強してないで早く寝なさい」と怒られる人でした。
小学生時代が人生で一番勉強していたかも。
その経験が活き、勉強の仕方をうまく吸収できた。
しかし、大学時代に壁にぶち当たる。
勉強ができても研究がうまくいかなかったのである。
研究は失敗するのが当たり前で、1000回に1回成功すればいい方、という分野であった。
今まで、失敗経験がほとんどなかったため、研究で行き詰る。
さらに、当時高校時代から交際していた方と破局。
研究の難しさと失恋の2つのダメージを受けながら、日々を辛く過ごしていた。
双極性障害のトリガーとなった出来事
2011年3月11日、あの東日本大震災が起こる。
毎日が生きることに必死で、研究や失恋の辛さを忘れて、家族にどうやって食事を食べさせるかを考え、毎日スーパーに買い出しに並んだりご飯を作ったりしていた。
震災発生から3週間ほど経って、怒涛の日々が落ち着いてきたころ、「亡くなった人も多いのに、私がなんで生きているんだろう、私が代わりになればよかったのに」と考えるようになる。
震災から1ヶ月後、心療内科を訪問し、うつ病と診断される。
様々なうつ病薬を試したが、一向に良くならず。
その中で、ある薬の組み合わせで、気分がすごく上昇すること(躁転)が明らかになった。
その結果、双極性障害Ⅱ型であると判明。
双極性障害用に薬を調整した結果、ある程度安定を取り戻す。
現在
双極性障害発症のトリガーとなった東日本大震災から10年以上経った今も、双極性障害による精神的不安定と不眠に悩まされている。
病気と闘いながら、心と身体の安定を求め、日々を過ごしている。
まとめ
精神科や心療内科にかかって、最初から双極性障害だと判断される人は少ないのかなと思っています。
私も、最初はうつ病と思われていたのが、実は双極性障害だったという流れでした。
私の病気の原因となったのは、次の理由からだと自己分析しています。
- 失敗することに慣れていなかった(挫折を知らなかった)
- 完璧主義
- 研究がうまくいかなかった
- 失恋した
当時は学生だったので、研究と恋愛が人生の両輪でした。
その2つを失ったところに、トリガーとなる東日本大震災が起こり、病気を発症したという流れです。
双極性障害の闘病生活は、「双極性障害」トピックの中で、更新していきます。
双極性障害持ちの皆さん、一緒に闘って、寛解を目指しましょう!