夫が適応障害で休職、退職しました。
私は双極性障害Ⅱ型、夫は適応障害、の弱者夫婦になりました。
夫が退職するまでの備忘録になります。
転職活動を開始 2022年7月~
前から転職したいと言っていたのですが、本気で転職活動を始めたのがこの頃でした。
あるところに決まりかけたのですが、面接のときに圧迫面接をされたようで、自分には合わないと思い、就職を辞退しました。
この頃から、調子がおかしかったのにきづいていればよかったです。
会社には転職して退職する旨を伝えていたのですが、転職がうまくいかなかったことを伝えると、「会社に残らないか」と言われて残ることにしたそうです。
このときに、社長にどれくらいいるのか?と聞かれたときに「1年くらいでしょうか」と答えたそうです。
この回答がのちのち響いてきます。
様子がおかしい? 2023年1月~
転職活動を辞めてから、だんだんと調子が悪くなっていきました。
2023年に入ると、特に目立った兆候が見られるようになりました。
- 趣味のランニングをしても、落ち込んで帰ってくる
- 急に「なんだよ」と言ってキレて、モノに当たる
- 急に「うるさい」と言って、テレビの電源を切る
- 料理中に急にキレて、鍋でガンと殴る
どれをとっても、私には恐怖の行動でした。
夫によると、会社の悪かったことがフラッシュバックしてきたようです。
キレてから時間がある程度経った後、人間が変わったように謝ってくれるのですが、それも怖かったです。
とうとうブチ切れる 2023年3月5日
夜中に、2回キレることがありました。
私が覚えているのが、2回目にキレたときです。
普通に寝ていた時に、「うるさい」と急にキレだし、布団などを持ち出して車で寝ることにしたようです。(物音は何もありませんでした)
その布団を持ち出す際に、飾っていた結婚式のアルバムが壊れてしまいました。
壊れたアルバムを見たときに、私の心も壊れました。
「もうここにいられない、実家に帰ろう」
私が家出・夫からSOSが出る 2023年3月6日
朝、夫が先に会社に出勤した後に、実家に帰る身支度を済ませて、置き手紙を書いて出勤しました。
「親の顔を見に実家に帰ります。すおう」
たまたま、私の実家は片道1時間半で行ける距離でした。職場からも1時間強で通える距離だったのが救いでした。
夕方に、夫からLINEが入りました。
夫「病院に行こうと思います。どうしたらいいですか?」
私「どうして病院に行きたいのですか?」
夫「つらいからです。」
やっと、自分の調子がおかしく、病院に行った方がいいと、判断してくれた時でした。
SOSを出してくれるまで時間がかかりましたが、SOSを出してくれたので対応できるようになりました。
私「明日やってほしいことは2つ。1つ目は、会社に電話して休むことを伝えて。2つ目は、精神科か心療内科に電話して初診の予約を取って。」
夫「わかった。会社は休む。」
数日、実家で夫から隔離できたため、私の精神状態も少しは良くなりました。
今、精神科は初診がとりづらく、私の通っている精神科は6月上旬初診になってしまいました。
夫の両親に相談 2023年3月7日
夫の両親に夫の状況について伝えることにしました。
夫の両親とのグループLINEの通話で、夫がご両親に話せなかったことを話しました。
- 夫の症状
- 夫の会社の状況(ブラックな感じなど)
- 夫が今後やりたい職
通話以外に、LINEの方にも文章でまとめたものを送りました。
それを見て聞いて、夫の両親は理解してくれました。
夫とのLINEが長くて意思疎通が難しかったのと、夫が会社を休み始めて安定してきたので、私は3月8日の夜に帰ることにしました。
内科巡り 2023年3月9日
夫のお母さんのアドバイスで、まず普通の内科にかかることにしました。
ストレスからか、胃腸の調子が良くなかったようで、胃腸をメインに見てくれる内科に行ってもらいました。
結果的に、胃腸には問題はなかったのですが、整腸剤をもらってきました。
夜に、すぐに見てくれる精神科を探していると、次の日予約が取れるところが見つかりました。
即予約し、明日行ってもらうことにしました。
3月8日に社長からコンタクトがあったようですが、今週中はお休みする旨を伝えてもらいました。
精神科受診 2023年3月10日
昨日予約が取れた精神科に行ったところ、「適応障害」の診断が出ました。
診断書も発行してもらえました。「5月末まで休養の必要あり」と書いてありました。
薬はもらわず、休養して様子を見るようです。
やっと次のことが揃い、安心できました。
- 適応障害の診断がおりた
- 診断書が発行された
- 2ヶ月強は休んでいい
夫の両親と対面でお話 2023年3月13日
会社に、診断が下りたことなどを、話してくれました。
会社的には、傷病手当金の申請も準備してくれるとのことでした。
また、急遽、夫の両親が夫の顔を見に来てくれることになりました。
夫はご両親に振り回されたようですが、夫の両親は息子の顔を見れて安心したのではないでしょうか。
夕方は私の仕事が終わったので、4人で食事をしました。
夫の抱え込み癖は、お母さんがつけてしまったのではないか、とお母さんがエピソードを踏まえながら涙ながらに話していたのが印象的でした。
確かに、夫は自分の意見を言わないことがありますが、周りをよく見ているからだと思います。
今回の退職騒動は、そんなところが裏目に出てしまった結果になりました。
夫の両親は、4月にも来てくれることになり、無事に帰宅したようです。
社長と三者面談 2023年3月17日
以前に、夫の会社の社長から、会って話したいと申し出がありました。
妻の私同席でよければいいと回答してもらい、この日に三者面談となりました。
私は、念のため録音用にボイスレコーダーを用意しました。
場所は、駅前の高級喫茶店でした。
5分前くらいに行くと、すでに社長がいました。
席に着いたときに、見える所にボイスレコーダーを置きました。
コーヒーが来たら、雑談もせず、「夫の状態に気づかなくてすまなかった」と言っていました。
社長は、「ゆっくり休養して戻ってきてほしい」という趣旨の話をしていました。
私にも、「家計的にも大変でしょ?傷病手当金もらってちゃんと治して復帰してもらおう」という旨の話をしました。
そうした中、社長が夫の希望を聞くと、怒った口調で強く言いました。
「できるだけ早く会社を辞めたい。妻が止めるのであれば、縁を切っても構わない。」
夫が初めて本音を言った瞬間でした。
離婚の意思があったのに私にはショックでしたが、本音を聞けたのが嬉しかったです。
私も「夫がそういう気持ちなら、すぐに辞めさせてほしいです。」と社長に言いました。
社長は理解したかしてないかわかりませんが、「わかった。すぐに辞める手続きをする。来週中にでも辞められるのではないか」と言ってくれました。
その場で、退職が決まりました。
数日後、社長から「傷病手当金の申請をするのに、3月末退職にしないか?」と打診がありました。
夫は辞められることに安心したのか、3月末退職に承諾しました。
退職まで 2023年3月18日~
会社や社長から来た連絡は、一旦私が目を通して、一緒に文章を考えるようにしました。
傷病手当金の申請は会社から始めてくれるそうで、その書類を待っていました。
また、就業規則も会社に置いていたので、退職証明書と就業規則を先に送ってもらうようにお願いしました。
もう会社には行きたくなかったので、荷物一式を送ってもらうことにしました。
会社に行かなくなってから、夫がキレることはなくなりました。
【まとめ】退職・復帰までの備忘録~退職まで
3月31日まで一回も出社しなかったので、無事に退職になりました。
これから書類仕事がたくさんあるので、一緒に頑張っていきたいと思います。
※4月8日現状、まだ離職票が届いておらず、困っています。
傷病手当金の申請や失業給付の延長など、経験したことを今後もまとめていきたいと思います。
※傷病手当金と国民健康保険・国民年金を記事にまとめました。

※私の扶養に入れず保険証返却になったのと国民健康保険・国民年金に加入した話をまとめました。
